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装身具の消滅時代

装身具の変化

 

古墳時代後半では有力豪族の古墳からは、副葬品として多数の装身具が出土していますが、地方の豪族の墓から出土するのは銅剣や銅鏡で装身具は出土していません。

 

中央集権国家が成立してくると、祭祀は大王が行うようになってくるので地方の豪族は祭祀用の装身具は不要になったのだと考えられています。

 

7世紀頃になると古墳時代に盛んに作られていた埴輪が消滅と同時に玉類の装身具も無くなってしまいます。

 

戦国時代に来日したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「日欧文化比較論」という書物の中で、「我々の間では真珠は装身具の材料に用いるが、日本では製薬のために搗き砕くより他には使用されない。また、ヨーロッパの女性がつける宝石のついた指輪なども一切つけず、金、銀で作った装身具も身に着けない」と述べていて、当時の女性が装身具を身に付けていなかったことが分かります。

 

これは現在でも明確な原因は分かっていません。

 

装身具の消滅

 

飛鳥、奈良時代になると日本からは装身具と呼ばれる物が消滅していきます。

 

江戸時代後半から、明治時代に洋服と装身具が必要になるまで、ジュエリー、宝飾品に該当する物は日本に存在しないという奇妙な時代が千年以上続いています。

 

日本から小寝具が消滅していった原因についてはいろいろな説があります。

 

冠位一二階制定説

 

603年に聖徳太子が定めた冠位一二階で貴族の階級は冠と衣服の色で決まるようになったので、装身具で身分や地位を示す文化は衰退したという説です。

 

火葬普及説

 

埋葬方法が土葬から火葬へ変化していったことが、装身具に対する変化を促していったという説です。

 

着物代替説

 

着物の形や色目、色彩が豊富になっていったことから、着物が装身具の役割を吸収していったという説です。

 

しかし、いずれの説も簡単に反論できるため根拠薄弱である、例えば衣服や紋章で階級を示したヨーロッパや、火葬が盛んなインドやチベットなどの仏教文化圏でも装身具は発達しています。

 

装身具の神格化

 

装身具が神格化した最初の例は物部氏が持っていたとされる十種神宝です。

 

しかし、物部氏は仏教の導入を巡って蘇我氏と対立して破れてしまい、日本の宗教は大きな変換を迎えることになります。

 

そして神道と仏教が合わさった神仏習合が起こりました。

 

その結果十種神宝は三種神宝に変わり、勾玉は天皇の権威を象徴する祭祀具になりました。

 

646年に薄葬令が出されて、古墳造営、殉死、埴輪や貴金属の副葬品が制限された結果、装身具の需要は無くなると同時に、装身具の神格化が進み庶民は気軽に装身具を身に付けられなくなってきました。

 

装身具代替文化

 

平安時代の女性の服装は十二単になり、何十にも重ねた衣服と長い黒髪は女性の行動を制約することになりました。その結果装身具の必要性は低下していったと考えられます。

 

装身具を身に付けるよりも、服装の色合いや香織に重点を置くようになったのです。

 

一方で男性の装飾品は鎧と刀になりました。平安時代の後半から武士が発生すると実用性と機能性に優れた日本刀の発展と同時に、装飾性の強い宝刀も誕生しました。

 

鎧と兜は相手を威圧するような物が好まれるようになりました。

 

功のような文化が装身具の必要性を低下させる原因になりました。

 

結局原因不明

 

女性は可能な限り装身具を付けたがるというのが世界共通の文化ですが、なぜ日本のみ装身具が消滅したのか決定的な原因は不明なままです。

 

装身具の神格化、文化の変化など色々言われていますが、女性が装身具を身に付けたいと思わないのは不思議な気がします。

 

たしかに和装に派手な装身具は似合わないと言う気もしますが。

 

なお装身具消滅時代にもアイヌ民族ではタマサイ(ネックレス)、ニンカリ(イヤリング)、レ久トンペ(チョーカー)などの装身具が使用されていました。

 

 

ジュエリーの歴史
日本のジュエリーの歴史を説明します。

 

古代の装身具

 

装身具の消滅時代

 

装身具の復活(戦国時代から平成までの装身具の歴史)


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