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真珠の歴史

真珠とは

 

真珠とは貝の体内で生成される宝石で生体鉱物(バイオミネラル)と呼ばれています。

 

貝以外にも貝殻を作る軟体動物であれば真珠を作る可能性があります。

 

人類最古の宝石

 

真珠は人類最古の宝石だと言われています。

 

美しい光沢を持つことから世界各地で宝石として珍重されてきました。

 

日本では邪馬台国の時代に魏に白珠(真珠)5,000が贈られています。

 

また日本書紀、古こと記、万葉集などの文献に「まだま」「あわびだま」「しらたま」などの名前で頻繁に登場します。

 

日本の真珠の美しさはヨーロッパまで伝わり、コロンブスもあこがれていました。

 

ペルシャでは紀元前7世紀ごろ、ローマでは紀元前3世紀頃、中国では紀元前2,300年頃から使用されていたようです。

 

アメリカでは鉱物学者でティファニーの副社長のジョージ・フレデリック・クンツ博士がThe Book of The Pearl と言う著書の中で「自然なままで、その完璧な美しさを誇る真珠は人類が最初に出会った宝石である」と主張しています。

 

真珠とは数千年の時間の流れの中で人種、国境を越えた広がりを持って広がってきた宝石なのです。

 

ナウマンゾウなどの大型獣が滅んだ結果、貝などの海産資源は人類にとって重要な食料になりました。貝殻を捨てた貝塚が各地に残っています。

 

そのため貝から出てくる真珠は、人類にとって身近な存在でした。

 

そして真珠は加工や研磨をすること無く自然なままで美しい存在なのです。ダイヤモンドは加工研磨しなければ大して美しくありません。

 

真珠の美しさは「てり」にあります。てりという真珠独自の美しさが真珠を宝石にした最大の原因だと思われます。

 

養殖真珠の開発

 

真珠は天然では産出量が少ないため、養殖によって作れないか研究がされ、11世紀頃の中国ですでに行われていたようですが、量産は難しかったようです。

 

なぜ貝から真珠が出てくるのか長い間分からなかったからです。

 

ヨーロッパの科学者が研究を行って様々な新発見がありました。

 

これらの研究結果の影響を受けて初めて人工的に真珠を作り出したのは日本人でした。これが養殖真珠の始まりです。

 

養殖真珠を作った日本人は御木本幸吉氏で1896年(明治29年)に英虞湾神明浦で養殖アコヤガイの半形真珠の生産に成功して特許第2670号真珠素質被着法(半形真珠)の特許権を獲得しました。

 

そして、1905年に英虞湾の多徳島で真円真珠の生産に成功しました。

 

その後10数年後に球状の真円真珠が登場しました。まず見瀬辰平氏が1970年に真円真珠に関して「介類の外套膜内に真珠被着用核を挿入する針」と言う特許を申請しました。

 

その後御木本幸吉氏の次女の夫である西川藤吉氏が真円真珠生産のための真珠形成法の特許を出願しました。この特許は見瀬辰平氏の特許に抵触するとされ争いになりましたが、結局西川藤吉氏の名義で登録され特許は共有となりました。

 

養殖真珠の技術は日本国外では、Mise-Nishikawa Methodとして知られています。

 

養殖真珠は偽物であると噂が流れたため1924年にパリで裁判が行われましたが、天然真珠と養殖真珠は成分が全く同じだと証明されたため全面勝訴となりました。

 

1930年頃になると天然真珠が重要な産業だった国は深刻なこと態になりました。

 

そして日本の真珠産業はヨーロッパに取って代わり世界のシャアの9割を占めるようになりました。

 

しかし、1966年にウイルスによるアコヤガイ大量死なども問題が起こり、現在では日本のアコヤ貝真珠の生産量は落ちています。

 

薬としての真珠

 

真珠の希少性から薬としての効果が期待されて服用されてきました、日本では解熱剤として使用されてきました。

 

エジプトでは紀元前3200年頃から真珠が知られていましたが、宝飾品として用いられるのはもっと後のことでクレオパトラは酢に溶かして呑んでいたようです。

 

 

真珠の歴史

 

真珠はなぜできるのか

 

真珠の構造

 

アコヤ貝養殖の工程

 

アコヤ貝以外の養殖真珠

 

真珠の鑑別とグレーディング

 

真珠の手入れ


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